マルコ16.1~8 (2018.4.1)
40日にわたるレントの歩み、特に先週の1週間は受難週としてイエスの最期を辿ってきました。木曜日は主の最後の晩餐が執り行われ、弟子たちの足を洗われた「洗足の木曜日」でした。翌日はイエスが十字架につけられた「受難日・聖金曜日」。「使徒信条」で言うならば、「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり」の箇所が、昨日までの40日間に相当します。そしてこの朝は死の墓から復活されたイースターモーニングとして、わたしたちは特別の思いを込めて迎えました。やはり「使徒信条」で言えば、「三日目に死人のうちよりよみがへり」との告白が実現した復活の朝だからです。
キリストの十字架の死、そして復活、それらは別々の出来事ではありますが、双方はまた深く関係していました。さらに言うならば、二つの出来事は一つになって、わたしたちに新しい命をもたらしたのでした。聖書はこう語っています。「わたしたちはバプテスマによってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう」(ローマ6.4-5)。当然、それは日々の生活をも変えていきます。「こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの労苦が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです」(1コリント15.58)。
その復活の朝のことでした。今日の聖書で言うならば、「週の初めの日のごく朝早く、日の出る」頃です(2節)。今朝7時半からCS(教会学校)ではすでにイースター早天礼拝を守りましたが、「日の出る」頃ですから、それよりもさらに早かったことでしょう。マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメの三人の女性たちがイエスの体に油を塗るために墓へ行きました。ここに来て初めて、イエスに従ってきた女の弟子たちが出てきます。それまで全面に出ていたイエスの弟子はすべて男でした。ところが十字架を境にして、彼らはイエスを見捨てて逃げ去ってしまいました。その彼らと入れ違いになるように、女性たちが登場します。15.41によりますと、ガリラヤ時代から多くの婦人たちがイエスに従っていたのですが、それまで表に出ていたのは男だけでした。それが今ここで、すなわち十字架の死、埋葬、そして復活の朝に、この三人の女性の名前が出てくるのでした。
彼女たちは互いに言いました。「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」。人間を埋葬する場所ですから、入り口をふさぐ石は大きなものでなくてはなりませんでした。当然、彼女たちが動かすには大きすぎました。ところが目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてありました。「わきへ転がされた石」、これは物理的にある力が働いて動かされていたということだけではなく、それ以上に墓の中の死と、墓の外の生の境が取り除かれたということではないでしょうか。言い換えれば、イエスは死の墓を乗り越えて復活されたことのしるしということです。それが墓の入り口の石がわきへ転がされていたことにおいて象徴的に示されたのでした。
墓の中に入ると、イエスの体はありませんでした。代わりに一人の若者(おそらく天使)が座っていて、彼女たちに言いました。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である」。「ここにはおられない」。こことはどこか。それは墓の中です。それは死の世界です。イエスは確かにひとたび死の墓に葬られましたが、そこを最終的な場所とすることなく復活されたのでした。
墓の中にいた若者が婦人たちに言いました。「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』」。ここに二点注目したいことがあります。一つは「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい」と言われたことです。ペトロを初めとした弟子たちはこのときどうしていたでしょうか。彼らはイエスの逮捕後、逃げてしまっていました。ペトロにおいてはその後信仰告白すべきところを、反対にイエスを知らないと言う始末でした。わたしたちの人生は過ちに満ちており、その中には取り返しのつくものもあれば、取り返しがつかないようにみえるほど大きなものもあります。ペトロがイエスを知らないと言ったことは重大な過ちであり、彼自身、もはや使徒として前に進むことができないほどのものだったことでしょう。ところがイエスが復活された出来事を、まず第一にペトロを初めとした弟子たちに告げるように言われたのでした。これはイエスが彼らを赦そうとされた、彼らを深く包もうとされたということではないしょうか。ペトロたちは言葉に表せないほどの大きな喜びと慰めを得たに違いありません。たとえ死の陰の谷を歩むことがあっても、陰府の深みに陥ることがあっても、神の選びと愛は変わることがありませんでした。
もう一つは「あなたがたより先にガリラヤへ行かれる」との言葉です。マルコ福音書は16.8で終わっています。次の箇所(9節以降)は一応番号が振ってありますけれど、括弧で括られています。これは聖書冒頭の凡例に記されていますように、マルコのオリジナルではなく、後の加筆と判断されたものだからです。「結び一」「結び二」のどちらもです。8節には「婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである」とあります。これがマルコ福音書の結びの言葉です。何か唐突な終わり方のような気がしないでもありません。そう思うのはわたしたちだけではなく、こうした加筆が二点あるように、古代の信仰者もそう思ったからです。しかしこの終わり方はふさわしくないでしょうか。マルコ福音書の書き出しはこうでした。「神の子イエス・キリストの福音の初め」(1.1)。そしてその結びが、彼女たちは「だれにも何にも言わなかった。恐ろしかったからである」。それでもここには「あなたがたより先にガリラヤへ行かれる」との約束の言葉があります。ガリラヤとは何でしょう。それはどこでしょう。まさに1章で述べられているように、イエスが洗礼を受けられた場所であり、ペトロたちが弟子として召された場所でもありました。すなわちガリラヤとは彼らの信仰の原点だったのです。復活のイエスはそのガリラヤを指し示し、挫折した弟子たちを今一度そこからたち立ち上がらせようとされたのでした。マルコ福音書のこの結びは、同時に開始でもあるのです。弟子たちと同じようにわたしたちは第1章に再び戻って、イエスの歩みを辿ろうとするとき、まさにそこで復活のキリストにお目にかかることができるのです。「あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われていたとおり、そこでお目にかかれる」との言葉どおり。