使徒言行録13.13~25  (2018.6.24) 

先週から引続いてここ使徒言行録13章を読んでいます。わたしはパウロの伝道旅行をもっと知るために、新約学者佐藤研さんの「旅のパウロ」を改めて読みました。佐藤さんは使徒言行録に記されているパウロの足跡を辿るために、8回にわたって今のトルコ、ギリシアを訪ねたとのことです。それをもとに書かれています。ここ第1回伝道旅行は、聖書で言えば13章から14章の2章にかけて報告されています。大まかな行程としては、キプロス島から始まり、今日出てくるピシディアのアンティオキア、そして14章のイコニオンとリストラが伝道地でした。何日かかったか、その日数は記されていません。著者が実際辿ってみると、その往復の距離は1200㎞(稚内から鹿児島までの直線距離に匹敵)で、しかも1000m以上の高低差があるそうです。もちろん旅行はすべて徒歩(騾馬に乗った形跡なし)。すると130㎞歩くとして、もちろん途中に旅館があるわけではありませんから、ほとんどが野宿だったといわれます。わたしは中仙道近くの大垣出身で(今は東海道本線が走る)、さらに東へ行った木曽路をよく歩いたことがあります。日本では松尾芭蕉とか伊能忠敬(日本地図作成)などが有名ですが、まさに西暦47年頃の健脚の姿をここに見る思いがいたします。

今日の箇所は使徒言行録に記録されている最初のパウロの説教です。これを読んでみますと、当時の礼拝の様子の一端、また説教は基本的には聖書の説き明かしではありますが、聴衆がどのような背景の人々であるかも影響を与えていることが分かります。

まず先週の続きですが、彼らはキプロス島伝道の後、船でベルゲに着きました。今のトルコ南部の港です。その次に興味深い記事があります。「ヨハネは一行と別れてエルサレムに帰ってしまった」。この短い一句、新約聖書を知る上で重要な鍵を提供しています。ヨハネという人物は正確にはヨハネ・マルコと言い、母親はマリア、エルサレムの彼女の家では教会の集まりがもたれていました。いわゆる家の教会です(12.12)。またマルコによる福音書の著者で、イエスが逮捕されたときその後をついていき、自らも捕えられそうになるや亜麻布を捨てて裸に逃げた若者と書かれているその本人だと言われています(マルコ14.52)。このマルコをバルナバとパウロは助手としてこの第1回伝道旅行に連れていきました(13.5)。ところがこの伝道旅行が半分も達していないのに、一行と別れて帰ってしまったのでした。しかも一行を送り出したのはシリアのアンティオキアであったにもかかわらず、そこではなく自分の家があるエルサレムに帰ってしまったのです。なぜ帰ったのか。理由が書かれていません。これまでいろいろ憶測がなされてきました。苛酷さを要した旅の厳しさが負担となった。また人間的な嫉妬もあげられます。というのはバルナバとマルコはいとこでした(コロサイ4.10)。それまでバルナバが指導者だったのですが、キプロス伝道を終えるあたりからパウロとの関係が逆転します。バルナバ自身はどのように感じていたか分かりませんが、マルコは自分のいとこの扱いに不満であったということです。この出来事はその後の伝道に影響をもたらしました。次の第2回伝道旅行においてです。それを見ますと、わたしには信仰的(神学的)な理由がもっとも説得的であるように思います。15.36から第2回伝道旅行が始まります。その出発の段階でバルナバとパウロの激論が報じられています。バルナバはマルコを連れていきたかったのですが、パウロは途中で帰ってしまうような者は連れていくべきではないと主張し、双方意見が激しく衝突、結果として二人は別々に伝道するようになります。バルナバはマルコを連れていきますが、彼の名前はこれ以降本書に出てくることはありません。ここから考えられることは、エルサレムで育ったマルコにとって、パウロの異邦人伝道、その信仰はラディカルに映ったのではないか、バルナバもアンティオキアの教会の人で異邦人伝道の拠点となる信仰をもっていましたが、パウロはさらに進歩的に見えたのです(それは次週のガラテヤ書にも見られます)。だからマルコはこれ以上ついていけないという思いから、エルサレムに帰ってしまったというのがわたしには一番受け入れやすい説明です。

ピシディアのアンティオキアに彼らは到着しました。そこにはユダ人が住んでいました。当然会堂があり、安息日ごとにユダヤ教の礼拝が守られていました。ここには当時の礼拝の様子、それは現在のわたしたちの礼拝の基礎となるものが見られます。そこでは「律法と預言者」の朗読がなされていました。律法とは旧約聖書の最初から五つ「モーセの五書」です。預言者とはそれに続くヨシュア記やイザヤ書などの預言書です。そこからいずれかの箇所が選ばれ、朗読されていました。これは今日の礼拝で司式者による聖書の朗読をはじめ、招詞などに相当します。聖書朗読が終わりますと、会堂長がパウロたちに向けて言いました。「兄弟たち、何か会衆のために励ましのお言葉があれば、話してください」(15節)。礼拝が外から来た人々にも開かれていたことがよく分かります。ここで求められた「励ましの言葉」、それは奨励であり、また宣教、説教、証しと同じであると言ってよいと思います。

求めに応じてパウロは立ち上がり、宣教の言葉を語りました。それが16節から41節までの内容です(今日は25節まで)。ここには会衆が精通している旧約聖書の歴史がまず語られていきます。アブラハムなど先祖の選びから始まり、出エジプト記のモーセ、次にヨシュア記、士師記と続き、サウルによる王国成立と後継者ダビデです。そしてそこから歴史を一挙に新約につなげ、ダビデの子孫としてのイエスを語ります(23節)。ここからがキリスト教の話となり、会衆は初めて聞く内容ではなかったのでしょうか。それはバプテスマのヨハネによっても証しされていることを話します。

さらに段落を変えて、パウロは主イエスによる救いを語ります(26節以降)。その核となるのが十字架と復活であり、それによってもたらされた罪の赦しでした。それを預言する旧約聖書で示しながら、イエスによる救いのメッセージを語るのでした。ここには重要な主張が二点あります。一つは32節と次節、「わたしたちも、先祖に与えられた約束について、あなたがたに福音を告げ知らせています。つまり、神はイエスを復活させて、わたしたち子孫のためにその約束を果たしてくださったのです」。これは旧約聖書とイエスによってもたらされた新約が連綿としたつながりをもっているということです。もう一点は38節と次節です。「だから兄弟たち、知っていただきたい。この方による罪の赦しが告げ知らされ、また、あなたがたがモーセの律法では義とされえなかったのに、信じる者は皆、この方(キリスト)によって義とされるのです」。いわゆる信仰による義です。ここには旧約の限界と、それを超えた新約の恵みが示されています。旧約と新約における順接と逆説、まさにこのパウロが後のローマ書で語った通りの言葉です。「ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です」(3.21,22)。この救いの歴史は現在も続き、キリストによる信仰の恵みは今のわたしたちをも覆い、導き、日々の支えとなっているのです。その恵みのもとで新しい週の歩みを始めましょう。