ルカによる福音書4.16~30 (2019.1.20)  

聖書の言葉が説教(宣教)の言葉となるには、基本的には次のような段階を踏んでいきます。これはどの教会、どの牧師でも同じです。まず最初には聖書本文そのものを読むことです。それも複数の聖書です。旧約聖書ならヘブライ語、新約聖書ならギリシア語は当然のこと、日本語聖書だけでも口語訳、新共同訳、そして先月発行されたばかりの聖書協会の共同訳があり、さらには個人訳として非常にすぐれたものも参考にします。それが終わると、次に釈義に入ります。釈義とはいきなり今日のわたしたち日本の読者がどう聞くかではなく、聖書のオリジナルの読者に対して何が語られていたかを、言語や当時の文化等を参考にしながら調べます。そしてそれを終えて後、初めて今日のわたしたちにとってどのようなメッセージとなるか、それが宣教と言われるものとなります。このようなけっこう骨の折れる作業を経ても、それが宣教にふさわしいものとなるか、神の言葉になるのかどうか、それはどの説教者にとっても苦しいところで、祈り(教会員の祈りも含めて)と聖霊の働きなしには耐えられるものではありません。

この朝の箇所には聖書を朗読するイエスが出てきます。朗読ですから声を出して聖書を読むことで、それは今日の礼拝における司式者の聖書朗読につながり、宣教前の重要な役割を担います。イエスの時代、各地方にあった会堂(シナゴーグ)で安息日ごとに礼拝が守られていました。そこではまず聖書の朗読、しかも律法と預言者からそれぞれある箇所が選ばれ、それから奨励とか証しがなされていたようです。使徒言行録にはそうした礼拝の様子が記録されています(13.14-15)。イエスが出席したナザレでの礼拝も同様でした。「イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった」。「いつものとおり」とは、直訳しますと「自分の習慣に従って」ということであり、たまたまとか、気が向いたのでということではありません。朗読のために渡された聖書はイザヤ書でした。それを巻物とあり、ギリシア語では「ビブリオン」と言います。口語訳では書とか聖書と訳していますが、巻物の方がよいと思います。開かれた箇所はイザヤ61.1-2でした。これは聖書日課のように決められていた箇所だったのか、それともイエスが自由に開いたところだったのでしょうか。

読み終えると、巻物を巻き係りの者に返して席につきました。「会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた」と、その様子が記されています。新約研究者の佐藤研さんは、ここを「目が彼に釘付けになった」と訳しています。それほど聖書の朗読それ自体に大きな力があるということです。そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と語り、それについてさらに話し始められました。これが宣教に相当するところでしょう。そこで人々はその口から出る恵み深い言葉に驚きました。

ところがその恵み深い言葉から来る驚きは違った方向へと向かいました。彼らは言いました。「この人はヨセフの子ではないか」。この言葉は何を意味しているのでしょうか。いったいイエスの語った恵みの言葉と並行して、またそれと重なって彼らの心を覆った驚きは何を意味しているのでしょうか。他の福音書の関連した箇所を読んでみますと、ヨセフが大工であったことから、その息子がいったいこのような知恵をどこから得たのだろうかと不思議に思いました。ヨセフの家族は昔からよく知っているという人間的な見方、さらにはその職業という点から、一方では聖書の説き明かしの素晴らしさによる驚きと、他方ではそれを語るイエスに対する偏見から来る低さ、その落差につまずいたのでしょう。彼らにとってはイエスの肩書が律法学者とでもなっていたら、そうした複雑な驚きはなかったかもしれません。それは今日でも同じではないでしょうか。そこで何が語られたかではなく、どのような肩書きで語られたに引き込まれやすい傾向にあるからです。

イエスはそれに対し、「医者よ、自分自身を治せ」ということわざから、そのように他のところで行っている驚くべき御業をこの自分の故郷でもしたらどうかとあなたがたは言うにちがいないと皮肉を込めて人々に言われました。そして「預言者は、自分の故郷で歓迎されない」と彼らのかたくなさ、不信仰を嘆き、二つの旧約聖書にある故事を話されました。一つはエリヤの物語、もう一つは彼の弟子エリシャです。エリヤの時代、大飢饉が起き多くの人々が苦しんだのですが、彼はシドン地方のサレプタのやもめのところにだけ遣わされ、食べる物にも困った家族を救いました。もう一人のエリシャ、イスラエルには多くの重い皮膚病を患う人々がいましたが、彼はシリア人ナアマンのところへ赴き癒しました。この二つの話に共通するものは、預言者が遣わされたのはどちらもイスラエルの民ではなく、異邦人であったということです。だからです、これを聞いた会堂内の人々は憤慨してイエスを殺そうと外へ連れ出したのでした。

イエスが安息日の礼拝で朗読された聖書の箇所、「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである」。この「捕らわれている人」「目の見えない人」とは、ここに出てくるユダヤ人でもありました。ナザレの村、ベツレヘムのような小さな田舎町からは何ら良いものは生まれない。そうした偏見もまた目の見えない人、捕らわれ人の姿ではないでしょうか。そのようにわたしたちはいろいろなものに捕らわれていて、決して自由ではありません。その目は曇っていて、心の視力は十分に機能していません。まさにイエスがそのような貧しい者たちのために福音を告げ知らせてくださり、それによって捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を、圧迫されている人を自由にしてくだったのでした。それが「主の恵みの年」であり、今「あなたがたが耳にしたとき、(それは)実現した」と語られたのでした。イエスはそれまでの預言者たちのように来たるべき方を指し示しているのではありません。イエスご自身がその来たるべき方であり、彼が来られたことによって、来たるべきすべてのものが来たからです。「主の恵みの年」は今イエスにおいて始まりました。それは新しい年の始まりを示すラッパの響きでもあります。先程讃美歌(263番)を歌いましたように、それはレビ記25章におけるヨベルの年の布告についてのものです。その3節にこうありました。「こひつじこそ ほむべきかな、きよき血にて あがないたもぅ。帰れや、つみびと、今しもヨベルの 年こそきにけれ」。その新しき解放の年が、視力回復の日が、イエス・キリストにおいて、その聖書を耳にしたときに実現したのでした。それが今です。