ローマの信徒への手紙1.8~15 (2019.5.12)

 今日は母の日でもあります。アメリカのメソジスト教会から始まったこの母への感謝は、今日では世界に広がり、ここ日本でもギフト商戦の力も得てすっかり定着しています。毎年この時期、花屋さんではカーネーションが店頭に出ています。すべての人が母親になるわけではありませんが、しかしすべての人には母親がいます。かつていたという人もいれば、今もおられるという人。わたしにはもう母は亡くなっていませんが、妻の母は健在(91歳)で、毎年の野方町教会CS夏期学校の重要なメンバーでもあります。いつまでこうした交流が可能なのだろうか。この時期、そうした感謝のやり取りが、贈り物を通してなされていることでしょう。わが家も同様です。

 このローマの信徒への手紙、パウロがまだ行ったことのない都、そしてぜひ行きたいと思っているこの都の信徒たちに手紙を書いています。ただパウロはローマに行ったことはありませんが、ローマの教会の状況は比較的よく分かっていたようです。今日のような多くの国々に分かれ、それだけ多くの国境があったわけではなく、一つの大きなローマ帝国の中にあったわけですし、しかもこの帝国は交通網が発達していたことから、人の行き来、それに伴い手紙や書物などを通しての情報の伝達は発達していたようです。それが冒頭の言葉にも出ています。「まず初めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです」。

 パウロはこの手紙を書いているのはローマのあるイタリア半島のもう一つ東、バルカン半島、そのギリシアのコリントにおいてでした。そしてローマへ行きたいという願いは、以前からずっと思っていたことでした。その思いは今日の箇所にも2度も出てきます。「その神が証ししてくださることですが、わたしは、祈るときにはいつもあなたがたのことを思い起こし、何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています」(9-10節)。「ほかの異邦人のところと同じく、あなたがたのところでも何か実りを得たいと望んで、何回もそちらに行こうと企てながら、今日まで妨げられているのです」(13節)。これほどまでにローマ願望があったのです。現在でもイタリア、その首都ローマは世界の人々が行きたいところの№10には入るのではないでしょうか。もちろんこの1世紀のローマには、まだフィレンツェの美術館もアッシジの教会もあるわけではありませんが、世界を支配していたローマ帝国の都の持つ風格、キリスト教以前の知性は十分に満ち溢れていたことでしょう。もっともパウロがローマ行きを願ったのは、現代のわたしたちのような観光目的ではありません。

 その目的を11節でこう述べています。「あなたがたにぜひ会いたいのは、霊の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです」。わたしたちは誰もが自分だけのために生きるのではなく、他の人の力になりたいと願っています。ただしその力とは、自分が持っていると思っている経験や能力に基づくものではありません。そうではなく、むしろ自分が持っていないものによって人に益することができる力です。すなわち自分は空っぽのまま、貧しいまま、まさにそれゆえに上から注がれる恵み、それが霊の賜物であり、それがまことに人を力づけるのです。その霊の賜物は著者であるパウロだけが持っているというものではなく、ローマの信徒一人ひとりにも与えられているものです。これについてカルヴァンは次のように述べています。「神の教会のうちには、われわれの益を何らもたらすことのできないほど賜物に乏しい人は一人もいない」。そうなのです。逆に言えばすべての人には何らかの賜物が神から、霊の賜物として与えられているのです。

  それを次の12節でこう語ります。「あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです」。神から与えられた賜物は、自分だけのために用いるのではなく、穴を掘ってそこに使わないまましまっておくのでもなく、互い分かち合うことによっていっそう豊かに発揮されるものです。分け与える者はおのずから受ける者となり、分け与えれば分け与えるほど受ける者となる。受ける者は分け与える者となり、受ければ受けるほど分け与えていくものなのです。そのした賜物はすべての人に例外なく与えられています。たとえば話すことよりも人の話を喜んで聞くことのできる人。目立たなくとも、人に優しいねぎらいの言葉をかけることのできる人。黙々と奉仕をする人。50人いれは50通りの賜物があります。パウロは単に教える人、伝える人、そして力になりたいというだけではなく、同時に教えられる人、励まされる人でもありました。そうした交わりこそがまことの力となり、まことの豊かさなのではないでしょうか。

 最後の箇所でもう一度そのローマに福音を伝えに行きたいという熱意を語ります。「わたしは、ギリシア人にも未開の人にも、知恵ある人にもない人にも、果たすべき責任があります。それで、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を告げ知らせたいのです」。ここに面白い言葉が出てきます。それは「未開の人」という言葉で、ギリシア語で「バルバロス」と言います。やがて英語でバーバリアン(野蛮人)という言葉になっていくものです。この言葉に関して次のような記事があります。後にパウロは囚人としてローマへ護送されますが、その途中暴風によって難破しました。そこで打ち上げられた島はマルタ島でした。そこに住んでいた住民のことを、使徒言行録は「バルバロス」と記しています。マルタは現在ではEUの一員ですが、これは1世紀の意識だったのでしょうか。そこの箇所を聖書は「島の住民」と穏やかに訳しています(28.2)。ユダヤ人は自分たちと他の人々を区別するため、異邦人という言葉を用いて世界を二分化していました。それは宗教的な区別で、神によって選ばれていないという意味でした。それに対してギリシア人は、他の民族を未開人と呼んでいたのです。それは宗教的区別ではなく、文化的なものでしょう。次の「知恵ある人にもない人にも」がそれをよく表しています。ギリシア語を話す人、ギリシア・ローマの文化、教養のない人は未開人、まさに今日にもつながる自国第一主義です。けれどもここで言おうとしていることは、キリストの福音はすべての人にあまねく告げ広げられていくべきものであるということでしょう。

 本日は野方町教会創立82周年を記念する礼拝でもあります。戦前、戦中、そして長い戦後の年月、そこにはいろいろな試練がありました。現在では世俗化、無関心といったような逆風にさらされて、教会という舟は漕ぎ悩んでいます。しかし歴史を見れば教会の歩みにとって順風満帆な時代はどこにもありませんでした。この世界は肉の支配する世界であり、罪との戦いが依然として続いているからです。それでも教会は倒れることなく、立ち続けています。なぜなら教会は御子イエス・キリストの血によって贖われた群れだからです。そこには世のいかなる力も対抗することはできません。わたしたちはこの岩の上に建てられているとの確信に基づき、いにしえの信徒たちと同じようにひたすら御言葉を宣べ伝え、互いに励まし合うことによってさらなる歩みを続けていくのです。