私の名は不思議   士師記13.2-18     2020.12.13 

待降節の第3週を迎えました。いよいよ来週はクリスマスです。今年は新型コロナウイルス感染という未曾有の出来事に人類が直面した一年であり、今も直面しているさなかでもあり、毎日のわたしたちの生活からこの話題が途切れることがありません。そうした中で今年はクリスマスを迎えることとなります。この時期に必ず読んでおきたい人物として、バプテスマのヨハネがいます。ヨハネは主イエスの前を歩む者、いわゆる先駆者としての役割を担った人物でした。彼については、すべての福音書が記しています。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」(マルコ1.3)。バプテスマのヨハネは主イエスをお迎えする準備として、人々の心を主に向かって整えるために悔い改めを強く訴えました。そのヨハネがイエスの直前を歩んだという意味で、まさにアドベントにふさわしい人物なのです。さらにもっと大きく見れば、旧約全体がイエスの誕生に備えていたということでもありますし、そこに出てくる預言者、たとえばエリヤなどもまた、イエスの先駆者として歩んだ人と言うこともできます。

今日の士師記に出てくる人々も同様です。士師とは預言者のような、また裁判官のような働きを兼ねた指導者です。時代背景としては、まだダビデなどのような王が現れる王国以前の時代で、ペリシテ人との争いが絶えなかった頃です。この時代に人々を導いたのが士師たちでした。士師記全体は21章から成り立っていて、ここにはさまざまな士師たちが出てきます。その中で比較的よく知られている人物といえば、女預言者デボラとかギデオン、それに今日出てきたサムソンではないかと思います。中でもサムソンは特に有名です。量としても13章から16章にわたって書かれるほど、一番多くのスペースが割かれています。

今日の箇所はサムソンの出生のところです。父の名前はマノア、母の名は書かれていません。2人の間には子どもがありませんでした。ここから物語が始まります。このような不妊の胎から始まる物語は聖書にけっこうあります。アブラハムとサラ、その間に生まれたイサク。エルカナとハンナの間のサムエル、そしてまさに先駆者そのものであるバプテスマのヨハネはザカリアとエリザベツから生まれました。いずれも子どもが生れないことに悩んでいた夫婦です。神はこのような不妊の胎から新しい出来事を起こされました。それは人間の力によるのではなく、神ご自身の業によってなされることを示したものです。このサムソンも同様で、神の約束のもとに生まれた子であり、それゆえナジル人として聖別され、神にささげられた者として生涯歩むことになります。その初めが今日の箇所に記されています。

神の御使いが妻に現れて言いました。あなたは「身ごもって男の子を産むであろう」(3節)。その知らせを受けたとき夫マノアはいなかったので、彼女は早速彼に伝えました。次に彼女が畑にいたとき、再び御使いが現れました。妻は急いで夫に知らせ、今度は二人そろって御使いに会うことができました。そこで再度男の子が与えられるとの約束の言葉を二人は聞くのでした。最後にマノアは言いました。あなたの「お名前は何とおっしゃいますか」。それに対して主の御使いが言います。「なぜわたしの名を尋ねるのか。それは不思議と言う」(18節)。不思議、実に不思議な名前です。英語ではワンダフルと訳しています。このワンダフルという言葉、もう一つ有名な箇所があります。やはりクリスマスにちなんだ箇所で、預言者イザヤが語っているところです。「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた……その名は「驚くべき指導者、力ある神……」。この「驚くべき」もまたワンダフルです(9.5)。いと高き方を指し示したものなのです。

サムソンはやがて聖霊に満たされるとき超人的な力を発揮する人物となり、ユダヤ人の宿敵ペリシテ人との戦いで重要な役割を果たしていきます。彼は生まれたときからナジル人として神にささげられていましたので、頭にかみそりを当てませんでした。「その子は胎内にいるときから、ナジル人として神にささげられているので、その子の頭にかみそりを当ててはならない」と語られてとおりです(5節)。サムソンの怪力の秘密は、髪を切らないことにありました。ペリシテ人はその秘密を何とか何とか知ろうとします。あるときペリシテ人に操られたデリラという女性が、サムソンの前に現れます。非常に美しい女性で、やがてサムソンは恋に陥ります。サムソンは神に立てられた人物ですが、ここに見られるようにすぐに女性を好きになったり、喧嘩っ早いなどきわめて人間的な面も見せています。そしてとうとう油断したとき、サムソンは自分の力の秘密をデリラに教えてしまうのです。それを知ったペリシテ人たちは彼が眠っている間に頭を剃ってしまいました。ついにサムソンは力を失い、捕えられてしまいます。両目をえぐられ、牢獄につながれます。けれども剃られた髪の毛が少しずつ伸び始めました。そして最後に多くのペリシテ人の見せ物となるため、広場へ引き出されたときのことです。彼はもう一度力を与えられるよう神に祈りました。サムソンは建物の2本の柱を自分の力で押し倒し、崩れ落ちた建物の下敷きとなり、彼は多くのペリシテ人と共に死んでしまったのです。

このサムソン、彼もまたバプテスマのヨハネ同様先駆者でした。5節に記されているとおりです。「彼は、ペリシテ人の手からイスラエルを解き放つ先駆者となろう」。強さと弱さをあわせ持つ悲劇的な人物サムソンは、その中で士師として神と人とに仕えました。もう1週すればクリスマスを迎えます。旧約という大変長い苦難の歴史のなか、そこから指し示されたメシアへの信仰、その希望が徐々に大きく育っていきました。長く暗い夜がやがて終ろうとし、少しずつ明るくなってきました。そして朝が来ます。そのようにわたしたちも主をお迎えすることができるよう、心の備えをしなくてはなりません。主イエス・キリストの誕生であるクリスマスに備えてです。

※以下のリンクから礼拝の録画をご覧になれます。

待降節第3(アドベント)_2020年12月13日配信