宣教  「主の救いを見る」  加藤 真衣子牧師

出エジプト記 14章 13節~25節

教会では、毎年6月第2日曜日を「花の日・こどもの日」と、しています。コロナ禍で、子どもたちは窮屈な生活を強いられています。子どもたちがこれからも健やかに、神さまの子どもとして成長していくことができるよう、教会全体で子どもたちのために祈り続けましょう。

かつてイスラエルの人々はモーセに率いられて、奴隷とされていたエジプトから脱出をしました。今日のひとつのテーマは「神さまは、遠回りをさせる方だ」ということです。出エジプト1317「ファラオが民を去らせたとき、神は彼らをペリシテ街道には導かれなかった。それは近道であったが、民が戦わねばならぬことを知って後悔し、エジプトに帰ろうとするかもしれない、と思われたからである。神は民を、葦の海に通じる荒れ野の道に迂回させられた。」 また142「イスラエルの人々に、引き返してミグドルと海との間のピ・ハヒロトの手前で宿営するよう命じなさい。」神さまのご命令では回り道になり、しかも旅の途上で目の前に海が広がってしまうことになりました。

神さまがなぜ遠回りをさせるのかというと144「わたしはファラオの心をかたくなにし、彼らの後を追わせる。しかし、わたしはファラオとその全軍を破って栄光を現すので、エジプト人は、わたしが主であることを知るようになる。」それは人が神さまと出会って神さまの力を知るためだというのです。

わたしたちも人生の旅路で「遠回りをしてしまっている」と思うことがあるのではないでしょうか。わたしたちは「最短ルートで生きるのが最善だ」と思って、生活していることが多いかもしれません。ですからその最短ルートから外れてしまうと、とっても不安になってしまいます。

イスラエルの人たちがエジプトを出て進んでいく時、神さまはわざわざ海に通じる荒れ野の道へ遠回りさせました。けれども神さまは、いじわるで遠回りをさせたのではありません。その遠回りの道の明るい日も、夜くらいときも、神さまは彼らを導き、1322「昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった」のです。そして前には海、後ろからはエジプト軍が追いかけてくるという絶体絶命でのとき、神さまはモーセにおっしゃいました。1416「杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べて、海を二つに分けなさい。」モーセがそのようにすると、激しい風が海を押し返して、イスラエルの人たちは海の中の乾いたところを進んでいったのでした。

神さまは遠回り、あるいは回り道をさせる神さまです。そのことを、神さまのこどもである私たちは、知らねばなりません。神さまの回り道は、神さまが知っていらっしゃる最善の道です。

「成熟した大人」は、「自分の力ですべての問題を処理できるようになる」ということではありません。1413「あなたたちのために行われる。主の救いを見なさい。」「主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい」と言われているように、自分のことばを沈黙させ、静かに祈り、神さまのお言葉を聴き、神さまのみ業を見ることです。

葦の海を分けた「激しい東風」。この「風」は創世記の最初で神さまが土のちりで最初のアダムを形作られたとき、その鼻に命の息を吹き入れられ、人はこうして生きる者となった、あの「神さまの息」と同じです。神さまはわたしたちを本当に生きるものとしてくださるために、今日も神さまの息を吹き入れて、私たちの目の前にたちふさがっている困難も、支配してくださるのです。

※以下のリンクから礼拝の録画をご覧になれます。

聖霊降臨節第2(三位一体主日)_2022年6月12日配信