生きるにも死ぬにも ローマの信徒への手紙14.1-12 2020.9.13
今日はまず過日皆さんに連絡網でお知らせしましたように、わたしたちの敬愛する田中正大さんについてお話しいたします。田中さんは9月10日(木)、入所しておられた「まどか富士見台」にて息を引き取られました。前日あたりから危篤ということで、家族一同が呼ばれました。そして家族みんなとお別れをしました。わたしは10日の朝7時頃、ご長男の真さんから電話をもらいました。そこでその様子をお聞きし、安らかに召されたとの報告を受けました。早速、支度をしてからタクシーでホームにかけつけました。長年にわたるベッドでの生活でしたが、すべての重荷から解き放たれたように穏やかなお顔でした。息子さん家族と枕頭の祈りを献げました。それから葬儀等について打ち合わせをしました。
田中正大さんは1927年10月21日に港区でお生まれになりました。来月で満93歳を迎えんとする生涯です。師範学校を卒業されて、小学校の先生を19年間勤められ、その後、家業であるふとん店を継いで、40年余りを過ごされました。
信仰の生涯としては、1947年4月13日に、野方町教会で大村勇牧師から洗礼を受けられました。当野方町教会は1937年を教会創立年としていますから、教会の歴史のほとんど草創期から、教会に連なってこられたといってよいと思います。田中さんの教会でのお働きに触れると、あまりにも多すぎて枚挙にいとまはありませんが、なかでも30年余にわたる教会会計が挙げられと思います。教会の初期の時代は、教会財政は決して楽ではなく、むしろ大変でした。当時の牧師先生もご苦労なさいましたが、支える会計長老もいろいろご苦労が絶えなかったことと思います。そうした中で30年も務められたのです。またこの教会の会堂建築も挙げることができます。そこでは建築委員長として、わたしたちに会堂を残してくださいました。この大事業も忘れてはなりません。さらに野方町教会では一時無牧の時があったのですが、その間も田中さんは中心となって教会を支えてくださいました。それらすべては教会のさまざまな資料から知ることができます。このように足跡を辿ってみますと、田中正大さんはある意味で野方町教会の歴史そのものと言っても決して過言ではありません。今、わたしたちこのような大きな器を失うことになりました。けれども別の面から言うならば、天に帰られたということでもあります。寂しさや痛手の中にあっても、復活の主イエス・キリストの平安のもと安きにあることを信じて、心から主にすべてをお委ねしたいと思います。
さて、今日の聖書では冒頭にこうありました。「信仰の弱い人を受け入れなさい。その考えを批判してはなりません。何を食べてもよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜だけを食べているのです。食べる人は、食べない人を軽蔑してはならないし、また、食べない人は食べる人を裁いてはなりません」。当時のローマ帝国社会は、クリスチャンにとっては異教の世界でした。街の市場で売られている肉などほとんどは、その世界で信じられていた神殿にささげられたものが市場に卸されていたものです。従ってその肉を買って食べるのは、特にユダヤ人からクリスチャンになった人々には抵抗がありました。長年の宗教的信条から、異邦人の穢れを避けたいという思いがあったからです。だから穢れを避けるため、流通のはっきり分からない市場の肉は買わず、結局野菜中心の食生活となりました。けれどもユダヤ人クリスチャンがすべてそうした肉を食べなかったわけではありません。現にこの手紙のパウロもユダヤ人からクリスチャンとなった人ですが、そうした穢れの思想に捕らわれてはいませんでした。パウロのような人を信仰の強い人と言い(15.1)、穢れなどの思想に捕らわれている人を弱い人とここで呼んだのです。
パウロの考えは、この世はすべて神によって造られたものであり、それ自身穢れたものは何一つないというものでした。その中にあって、これまでの生活習慣や宗教的環境から清いとか穢れとかの考えを持って生きている人々を一概に批判してはならないということです。まして彼らは同じ信仰者どうしです。何を食べようか何を飲もうかという、そのような信仰の核心部分でなく周辺的なことで互いに裁き合ってはならならいというものです。「神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びです」とあるとおりです(14.17)。キリストはどのような立場の人のためにも死んでくださったのであり、どちらにとっても主だからです。これは食べ物の違いだけでなく、日についても同じで、「ある日を他の日よりも尊ぶ人もいれば、すべての日を同じように考える人もいます」とそれを述べています。
大切なことは、捕らわれていない自分は自由と思っている人が、そうでない人を軽蔑したり、反対に厳格に習慣を守っている人がそうでない人を野放図だと裁いたりしてはいけないということです。神はどの立場の人をも受け入れてくださったからです。わたしたち一人ひとりは主によって立てられているのです。信仰を同じくする友の裁くことは、すなわちその人を選び立てられた神を裁くことにほかなりません。重要なことは5節にあるとおり、「各自が自分の心の確信に基づいて決めることです」というものです。
わたしたちは自分の信仰に基づいてどのように隣人と向き合うかということを大切にしながら、根本においては神と向き合って生きています。7節以降でそれが語られています。「わたしたしの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです」。
現在の命、これまでの命、そしてこれからのすべては自分のためだけにあるのではなく、また自分の力だけによって成り立っているわけでもありません。そうではなく神に支えられた命なのです。わたしたちのために十字架で死に、死の墓からよみがえられたキリストのもとで、自らの命を受け止めていくのです。いや、命、生だけでなく死も同じです。キリストの死によって永遠の生という希望が与えられているからです。パウロが別の箇所でこう語っています。「その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです」(2コリント5.15)。それゆえもはや自分一人で生きるのでも死ぬものでもありません。わたしたちは命の源であるキリストに委ねながら、隣り人と共に歩んでいくのです。
※以下のリンクから礼拝の録画をご覧になれます。