ルカ2.41~52 (2018.1.7)

新しい年2018年を迎えました。今日の週報のナンバーは1と記され、これから52週にわたって週報が印刷され、主日礼拝が守られていきます。今日がその初めの礼拝です。教会暦ではこうした区切り方ではなく、降誕前節から1年が始まり、復活節、そして聖霊降臨節で1年が終わるという流れになっています。ですから秋口が1年の終わりとなり始まりとなります。暦という点では、現在話題となっている天皇の生前退位が決まり、今年は平成最後の年ということでもあります。いずれにせよ今日が今年最初の礼拝です。これから始まる52回の礼拝を基盤として、自らの生活を組み立てていきたいと思います。

さて、今日の聖書の箇所はイエスが12歳の時の出来事についてです。この出来事はルカだけにしか記されていない、きわめて珍しい箇所です。ルカ福音書の冒頭は「献呈の言葉」から始まっています。それはテオフィロという、おそらくローマ帝国の高官の一人と考えられる人物に献げられたものです。こうあります。「わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています。そこで、敬愛するテオフィロさま、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。お受けになった教えが確実なものであることを、よく分かっていただきたいのであります」。「すべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いて」とルカは述べています。そこには多くの史料があり、取捨選択もなされたことと考えられます。その中で圧倒的な量となるのは当然公生涯の出来事であり、おおよそ30歳から始まる宣教活動に関するものでした。その次に多いのはイエス誕生前後の出来事(クリスマス)に重点が置かれています。そしてその間の30年間の中で唯一の記事が、この12歳の箇所なのです。今日の冒頭41節によれば、イエスの家族は他のユダヤ家族同様毎年過越祭を祝うためにエルサレムに上っていたようですが、その中でこの12歳の年の出来事だけが(11歳でも13歳でもなく)、イエス御自身が誰なのかを暗示する貴重な史料として際立っていたのかもしれません。

「さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした」と書かかれています。律法によれば1年に三つの大きな祭があり、それを祝わねばならないとあります。しかしエルサレムから遠く離れた地方の人々にとっては、実際はこの過越祭の1回だけであったようです。過越祭とはエジプト脱出にまつわる神の救いを記念する祭です。イエスが12歳の年も同様に都に上りました。それは数日間の滞在に及ぶお祭でした。それが終わって一同は帰路に着きました。イエスの両親はてっきりイエスも一緒にいると思っていました。ところがイエスはその群れの中にはおらず、エルサレムに残っていたのでした。どうしてそのように気づかないまま1日分の道のりを行ってしまったか。人々はエルサレムに上るとき、家族単位ではなく、村あるいは町単位で上ったのでガヤガヤと人がいっぱいだったのでした。おそらく子どもは子どもどうしでおしゃべりをしながら、またふざけあったりしながら歩いていたのかもしれません。また詩編には「都に上る歌」というタイトルの詩編が多く残されています。そうした詩編を一緒に賛美しながら、または交読のような形でうたいながら歩いていたのかもしれません。それにしても両親が1日分の道のりを行って、そこで初めて自分たちの息子がいないことに気づいたのですから、今では考えられない何とものんびりとした時代であったかと思います。

そこでマリアとヨセフは再びエルサレムへ引き返しました。するとイエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、彼らの話を聞いたり、逆に学者たちに質問したりしているのを見ました。おそらく律法に関することであったでしょう。それを聞いて大人たちはイエスの賢い受け答えに感心していました。そこで母マリアは言いました。「なぜこんなことをしてくれたのですか。御覧なさい。お父さんとわたしも心配して捜していたのです」。それに対して12歳の少年イエスは答えました。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」と逆に問い返しました。

12歳と言えば、今日では小学生から中学生になろうとする年齢です。体力、知恵が少しずつ増して、どこか生意気な面が出てくる時代です。今わたしの孫が冬休みを利用して大阪から来ていますが、年々口数も少なくなりつつあります。親の保護から少しずつ離れていこうとする年齢なのでしょう。まして古代の子どもは、今よりもっと自立のスピードが速かったことと思います。

けれどもここでの少年イエスの姿には、単に人間の成長、その心理を表しているというだけではありません。ここには二人の父(パテール)が出てきます。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんも私も心配して捜していたのです」とマリアが言った「お父さん」。これは言うまでもなくヨセフのことでしょう。ここにはもう一人の父が出てきます。イエスが答えました。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」。それならここで言う「自分の父」とは誰なのでしょうか。それは父なる神です。クリスマスのメッセージの一つとして、「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」があります(ヨハネ1.14)。それは父の独り子である神イエスが、貧しき人間となられたという意味です。イエスが神の子でありつつ、徹底して人間の子でもあったのです。それがこの二人の父という、まことに不可解な言い方で御自身を示されたのでした。このように突き放すような言い方でイエスは神の子としての自らを表しつつ、しかし他方ではその後ナザレに帰り「両親に仕えたお暮しになった」とありますように、人の子として十戒の第四戒にある「父と母を敬え」を実行していったのでした。それは大工の仕事に精を出し、畑仕事もしたのでしょう。そしてそれは後の宣教に大きく役立つこととなったのでした。それらの働きをとおして「神と人とに愛された」のでした。

このようにイエスの生涯は誕生から30歳までの間はほとんど沈黙の時代であり、隠された時代でもありましたが、その中にあって12歳の出来事はイエスがクリスマス同様、特別の使命を帯びた者であることを示す数少ないエピソードとなりました。神と人とに仕える。神と人とに愛される。また神と人を愛する。こうした信仰生活はわたしたち一人ひとりにとっても、同じように目標となるのではないでしょうか。この1年、どのように進んでいくのかその道が見えるわけではありませんが、わたしたちの一歩一歩を確実に導いてくださる神を信じて歩んでいきたいと願います。