ガラテヤの信徒への手紙1.1~10 (2018.9.2)

皆さまのお祈りによって今年も無事夏期休暇を終えることができました。休暇と言いましても、今回は特に遠くへ出かけるというものではなく牧師館でゆっくり過ごしました。その間、神学書だけでなく、普段なかなか読めない小説や歴史物をも読めました。この夏は、以前にもお話ししましたように下松教会の100周年に出席することがゆるされました。また夏期学校開催に際してはわたしの家族が多く牧師館に集まり、疲れましたが楽しい日々となりました。こうしたことを糧としながら、今年度の後半に向かって新たな歩みをしていきたいと思います。

ガラテヤ書は論争的な性格が強い書物だと言われています。特に律法と福音の対立が鮮明であり、それゆえ後の宗教改革においても重要な役割を果たしていきます。たとえばルター、彼はこの書物を特に愛し、「ガラテヤ書はわたしの婚約者とも言うべき手紙であり、わたしのケーテ(奥さんの名)である」とも語っているほどです。ルターが対峙したカトリック教会、それはこのガラテヤ書を書いたパウロが対峙したユダヤ主義者と共通するものがあったからでしょう。

そのことは最初の挨拶にもよく出ています。まず差出人であるパウロ自身について述べます。「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ」。ここにはパウロの使徒職がいかなる権威に基づいているのかを示しています。それは人間によるのでもなければ、この世の権威に基づくものでもなく、ただキリストによる召しによるものだということです。背景にはガラテヤの信徒に誤った影響を与えていたユダヤ主義者の伝統があったと考えられます。それを語るのに冒頭で「人々からでもなく、人を通してでもなく」と、否定形を2つ並べて始めます。こうした挨拶は他の手紙にはありません。次に続く「イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神によって使徒とされたパウロ」という肯定文で自己紹介は十分なのですが、あえて否定形から始めたことに、論争的な性格がよく出ています。それは今日の箇所の最後にも共通しています。「こんなことを言って、今わたしは人に取り入ろうとしているのでしょうか。それとも、神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、何とかして人に気に入ろうとあくせくしているのでしょうか。もし、今なお人の気に入ろうとしているなら、わたしはキリストの僕ではありません」。

そうしたユダヤ主義者の影響を受けたガラテヤの教会、すなわち宛先はほんの短いものでした。「ガラテヤ地方の諸教会へ」。原語でもたったの4文字です。ここにもこの手紙の性格がよく出ています。たとえば次のエフェソ書では、「エフェソにいる聖なる者たち、キリスト・イエスを信ずる人たちへ」。またその次のフィリピ書では、「フィリピにいて、キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たち、ならびに監督たちと奉仕者たちへ」。他の手紙にも共通する「聖なる者たち」という言葉はなく、ここではただ「ガラテヤの諸教会へ」、これではいかにも味気ない、また冷たいものを感じます。それはパウロの怒りの感情がそうさせたのでしょう。

いったい何があったのでしょうか。6節でこう切り出しています。「キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています」。ギリシャ語ではこの言葉の順序は、他の西洋の言葉同様「わたしはあきれ果てています」が一番最初に来ています。これもパウロの激しい感情の動きを示しています。「あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしている」という、その「ほか福音」とは何を示しているのでしょうか。

これこそガラテヤ書全体が問題としていることで、端的に言うならばパウロの後にユダヤ主義的教師が入り、キリストの信仰だけでなく、ユダヤの律法も守らなければ救われないと説き、それに影響されたことでした。とりわけ割礼の重要性を語ったのです。しかしパウロの主張は、キリストも律法もではなく、キリストのみという主張であり、それこそが福音の根幹でした。5.3以降がそれをよく表しています。「もし割礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは何の役にも立たない方になります。割礼を受ける人すべてに、もう一度はっきり言います。そういう人は律法全体を行う義務があるのです。律法によって義とされようとするなら、あなたがたはだれであろうと、キリストとは縁もゆかりもない者とされ、いただいた恵みも失います」。

福音がいつの間にか変質していく。キリスト教の歴史を見ますとこういうことはしばしば起こり、現在でもわたしたちへの警告として受け止めるべきであろうと思います。現在「キリシタン遺跡の世界遺産」が何かと話題になっています。潜伏キリシタン信者が幕府の厳しい弾圧に耐え、その信仰を守り通した。踏み絵を踏まずに命を落とした多くの農民もいたというものです。ただこうした筋書きに疑問を投げかける研究者もいます。ほとんどの民衆はキリシタン大名の命令によって洗礼を受けたのであって、彼らの改宗は信仰ではなく政治の領域のことでした。その信仰を迫害のもとで守り通したのは、先祖から受け継いだ家の宗教だからであり、その内容は仏教の中にキリスト教の痕跡を残したものに過ぎないというものです。たとえば天草のある地域では、受難週とクリスマスにあたる時期の行事が残され、そこでは仏式の祈りの後に「あんめんじんす 丸やさま」(アーメンゼウス マリアさま)と意味も知らずに付け加えていると言われます。これらをキリシタンと呼ぶことがふさわしいかどうかという問題が提起されているのです。

「キリストの恵みへと招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています」。この世界にはさまざまな魅力的な思想があります。流行があり、影響をもたらす評判の良い教えもあります。しかしそれらはいつまでも残るものではなく、やがては過ぎ去っていく運命にあります。もっと根本的なところで、すなわちわたしたちは自分がだれなのか、どのような者として生きているのか、いかなる者として生きようとしているのかという生は、キリストの福音によってのみもたらされます。それは人の評価や自らの努力等、いわゆる「人々からでもなく、人を通してでもなく」、ただ上からの召しによるものであり、罪の赦しと新しい命の源であるイエス・キリストの十字架と復活を通して与えられるものなのです。この恵みを受けるのは聖書においてほかにはありません。そしてそれが語られる礼拝が、わたしたちの命の中心となるのは言うまでもありません。秋に差しかった今日9月からの生活において、今一度わたしたちはここに立ち、自らをキリストの恵みにゆだねつつ歩んでいきたいと願います。