宣教 「すなはらにもマナをふらせる主」
宣教 「すなはらにもマナをふらせる主」 加藤 真衣子牧師出エジプト記 16章 12~31モーセを通して出エジプトしたイスラエルの人々は、目の前にひろがる海を分けられて、前に進んでいきました。しかしその旅路は「荒れ野の旅路」でした。「荒れ野」というのは、昼は40℃以上にもなる高温、
宣教 「すなはらにもマナをふらせる主」 加藤 真衣子牧師出エジプト記 16章 12~31モーセを通して出エジプトしたイスラエルの人々は、目の前にひろがる海を分けられて、前に進んでいきました。しかしその旅路は「荒れ野の旅路」でした。「荒れ野」というのは、昼は40℃以上にもなる高温、
宣教 「今、この目で主を仰ぎ見ます」 棚村 惠子牧師ヨブ記 42章 1~6節、マルコによる福音書 15章 39節旧約聖書のヨブ記は苦難の中での信仰者の生き方を深く考えさせる物語です。信仰深く、正しい人ヨブは豊かな財産と家族、健康に恵まれ、まるで絵に描いたような幸福な人生を享受して
宣教 「主の救いを見る」 加藤 真衣子牧師出エジプト記 14章 13節~25節教会では、毎年6月第2日曜日を「花の日・こどもの日」と、しています。コロナ禍で、子どもたちは窮屈な生活を強いられています。子どもたちがこれからも健やかに、神さまの子どもとして成長していくことができるよう
宣教 「逆風の中の航行」 山元 克之牧師マタイによる福音書 14章 22節~36節時に教会は船に例えられますが、教会の働きはまさに船の航海のようです。野方町教会もまた神の国という対岸に向かっての航行をしておられます。特に、牧師の交代への準備をされており、今までのことを引き継ぎつつ
宣教 「エマオへの道」 大島力牧師ルカによる福音書 24章 13節~35節「エマオへの道」の話の中心は何でしょうか。それは、エルサレムからエマオに向って歩いていた二人が、最初は「暗い顔をして立ち止まって」いたが、しかし、そのエマオでの出来事によって、立ち止まるのではなく、時を移さず出
宣教 「涙の国から、神の国へ」 加藤真衣子牧師ヨハネによる福音書16:16~24ヨハネによる福音書16章には「悲しみ」という言葉がたくさん出てきます。イエスさまが間もなく捕らえられ、十字架にかけられてしまうからです。そのことは弟子たちに深い悲しみをもたらすことを、主はご存知です。しか
宣教 「絶望するあなたを支える愛」 森島 豊牧師詩篇 139篇 7-12、マルコによる福音書 15章 33-41生きているなかで、「もうお終いだ」と叫びたくなる経験を一度くらいはすることがあります。旧約聖書の詩編139編に「陰府に身を横たえようとも、見よ、あなたはそこにいます」
宣教 「神の平和があるように」 棚村惠子牧師「フィリピの信徒への手紙」4章 1~7節喜び、祈り、感謝の三つは神様が私たちに望んでおられることだと使徒パウロは常々強調しました。キリスト教の「福音」とは元来、喜ばしい知らせです。キリストの十字架と復活によって罪と死にあえぐ私たちを救って
宣教 「本当に幸いな歩み」 姜 俓米牧師聖書:テサロニケの信徒への手紙一 5章 16-18節「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」。最もよく知られ、よく読まれ、親しまれている、いい言葉です。けれどもよく考えてみると、この言葉を本当に真剣に受け止めよう
宣教 「神の子か、悪霊の頭か」 高砂 民宣牧師聖書:イザヤ書 53章 11~12節、マルコによる福音書 3章 20~35節今月の3月2日(水)から、教会歴では「レント」に入った。レントは、イエス・キリストの御受難を覚える時期である。主イエスは私たち人間の罪を贖うために、私たちの身代