ルカによる福音書2.1~7 (2018.12.23) 

アドベントの歩みも4週目最後となり、ローソクに光が4本灯されました。わたしたちは今日クリスマスを全国、全世界の人々と迎えました。これまでの4週にわたる歩みはいかがだったでしょうか。それぞれにおいて備えの時を持ったことと思います。CSでも毎日ツイッターで、クリスマスにふさわしいカードや花と一緒に聖書の言葉が発信されていました。そのメッセージに少しでも心触れる人が生まれればと願ってきました。わたしも牧師として、この期間多くの教会の仲間を訪ねました。特に教会に来たくても来ることのできない高齢や病床にある方、施設に入所している方々です。その訪問の様子は随時週報に報告している通りです。先日高田邦彦さんからわたしの健康を案じてくださり、相馬先生の時代によくご家族に病人が出たことを思い起こしますと言っておられました。牧師個人だけでなく、この時期は牧師家庭全体が忙しくなり、その中で体調を崩しやすいからです。それは全国の牧師の家族にも言えることです。わたしどもは皆さんのお祈りにより、何とか今日までは体調を崩すことなく歩むことができ感謝しています。

さて、救い主イエス・キリストの誕生であるクリスマスは、ルカによる福音書によりますと次のような次第でした。それは皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、住民登録をせよとの勅令が出たことから始まりました。「皇帝アウグストゥス」、皇帝とはギリシア語でカイサル、すなわちローマ帝国の最高権力者のことです。その皇帝からローマ帝国全領土の住民に住民登録をせよとの勅令が出たのでした。従ってこれは逆らうことのできない絶対的な命令でした。なぜこのような住民登録の命令を出したのか。それは税を取り立てるためであり、徴兵のためでもあり、その他の労役に必要な統計ともなったことでしょう。そのようにしてローマ帝国の支配を強固にしていったのでした。そのときヨセフとマリアはガリラヤのナザレに住んでいました。しかし彼らが登録する場所は、家系に従いユダヤのベツレヘムで行わなくてはなりませんでした。ナザレからベツレヘムまでの距離は約170㎞あり、普通の足で5日間の道のりと言われています。ましてこのときマリアは身ごもっていましたので、もっと大変だったことでしょう。通常ならばこうした長旅は体に負担がかかるため見合わせます。そのため代表者一人ですますことはできなかったのでしょうか。しかし彼らは二人でこの厳しい旅を強行したのでした(しなければならなかった)。ここにローマ皇帝の有無を言わせない命令の厳しさがあり、またヨセフとマリアにも他のだれか手助けを頼めるようなお金に余裕もありませんでした。わたしたちの救い主はこのような状況の中、お生まれになったのでした。

厳しさはその旅だけではありませんでした。彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて赤ちゃんを産みました。それを聖書は次のように告げています。「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた」。飼い葉桶、それは家畜のためのものであって、人間のためのものではありません。どんなに生活に困った人であっても、まさか飼い葉桶をベビーベッドとした人はいないのではないでしょうか。ところが世界の救い主としてお生まれになった方が、そこに横たわっていたのでした。何と異様な光景ではないかと思います。ローマ皇帝など富める者たちの家族が使う立派なゆりかご、そこに多くの人々が仕える、とまではいかなくとも、通常のベッドさえも与えられずに家畜小屋の飼い葉桶をゆりかごとしなくてはならなかったからです。

なぜそのような貧弱な場所にお生まれになったのでしょうか。今日の福音書の最後にこう記されています。「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」。ルカはこのように、クリスマスの出来事を抑制して記しているように思います。飼い葉桶の誕生についても、そしてこの最後の「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」との報告についてもです。宿屋ですから、そこには人が泊まる部屋が幾部屋かあったはずです。ただすべての部屋が満室であったから、イエスの家族が泊まることができなったということです。それならいったいだれが泊まっていたのでしょうか。それはわたしたちのような一般の人々ではないかと思います。その中でだれ一人として自分の部屋を譲る者はいませんでした。だれ一人救い主の誕生に気づく者もいませんでした。緊急の事態が生ずれば、人は何らかの手を貸すものです。災害時がそうです。そのようなとき人は互いに助け合うものです。まして世界の救い主の誕生です。それでもだれ一人としてイエスの誕生を受け入れる者はいませんでした。「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」とはそういうことでした。だから彼らは家畜小屋へ入り、家畜と同じような扱いを受けたのでした。しかも東北の南部曲り家のように同じ屋根の下で家畜が大切にされているような環境ではなく、おそらく多数の使役用の家畜がいたのでしょうから、離れた場所に馬小屋があったことと考えられます。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」と天使が賛美しましたが、その栄光ある天と比べて、この地上では何と慎ましい、貧弱な光景が繰り広げられていたことでしょう。

わたしは毎年クリスマスになると、ルターの「クリスマス・ブック」を開いています。もう30年以上も同じことをしています。同じ文章ではありますが、不思議にいつも新しい光を受けています。今日の箇所に関しては、こんなメッセージが語られています。「皆さんの中には、心ひそかにこう考える人がたくさんいるでしょう。『ああ、わたしがその場所に居合わせたらなあ!喜んでご用をつとめただろうに!洗濯もしただろう、お守もしただろう。そして羊飼いと一緒に、大喜びで飼い葉桶のイエスさまにお目にかかっただろうに』と。そうでしょうとも!あなたがたが今そう言うのは、キリストがどんなに偉大な方であるかを知っているからです。もしもそのとき、その場に居合わせたなら、あなたがたにしたところで、ベツレヘムの人々と五十歩百歩だったにちがいありません。何という子どもじみた馬鹿げたことを考えるのです?それなら、なぜ今そうしないのですか?キリストはあなたの隣人のうちにいましたもうのです。あなたはその人に仕えなくてはなりません。苦しみの中にある隣人にすることは、主御自身にすることなのです」。

皇帝アウグストゥスによる住民登録の勅令に端を発した救い主イエス・キリストの誕生。それは一方では多くの人々に仕えられる権力者、徴税や徴兵などを通して人々からさまざまなものを、そして命さえ奪うこの世の支配者の世界が示されていました。他方ではだれにも顧みられず、地上には生まれる場所さえもなく、きわめて目立たない形で飼い葉桶に寝かされた方が誕生いたしました。この方は人々から仕えられるのではなく仕える者として、人々から奪うのはなく、むしろ与え、しかもご自身の命さえも与える方として誕生したのでした。それがわたしたちの救い主イエス・キリストであり、クリスマスの出来事だったのです。