マルコ2.1-12 (2018.2.4)
毎週水曜日開催の祈祷会では、週報に基づいて主な諸集会を確認し祈っています。また教友消息にも触れて、特に病床にある人や困難の中にある人を覚えて祈ってもいます。それだけではありません。皆さんのお手元にも配られていると思いますが、「西東京教区だより」の中には「祈りのカレンダー」がついています。そこにあるその週記載の教会・伝道所を覚えて祈っています。各教会の欄には「祈りの課題」が記されていますので、それを確認して祈るわけです。祈祷会とは別ですが、一昨日には「信徒の友」編集部から、野方町教会の祈りの課題を書いてほしいとの往復はがきを受け取りました。来年度4月以降の「信徒の友」に掲載するためです。「信徒の友」にも一番最後に「日毎の糧」というコーナーがあり、そこには全国の教会が順番に掲載されることになっています。だいたい5,6年くらいに一度回ってくる感じです。
自分のことだけではなく、他の人のためにも祈る。自分の教会のことだけではなく、他の教会のためにも祈る。それを執り成しの祈りと呼んでいます。それが信仰生活に重要なことは、キリストがわたしたちのために執り成してくださっているからです(ローマ8.34)。また聖霊も同じです。「わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、霊自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださる」と語る通りです(ローマ8.26)。祈りにおいて、また行動において他者と共に生きることは、信仰の実践において欠くことのできないものなのです。それはこの朝の聖書からも示されています。
イエスがカファルナウムに滞在しておられるときのことでした。ある家に入り、神の福音の言葉を語っておられました。この町には一人の中風で寝たきりの男がいました。彼もまたこの集会に参加したいと願っていました。けれども彼は自分で動くことができません。そこで4人の仲間が寝台ごと持ち上げて、イエスのところへ連れて行きました。ところが大勢の人々がすでに集まっていて、とても中に入ることができませんでした。そこで彼らはあきらめて帰ったかといいますと、そうではありませんでした。彼らは屋根の上に昇り、イエスがおられる辺りの屋根をはがして、そこから寝たきりの男の床をつり降ろしたのでした。パレスチナにある家の多くは、屋根が平らで、木材の梁と木の枝を編んだものと、そこを覆った粘土から成っていました。だからこうしたことができたのでしょう。それにしても何と大胆な行動でしょうか。今なら家屋破損の罪で問われそうですが、もちろんそこがこの話の中心ではありません。
イエスは「その人たちの信仰を見て」、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われました。「その人たちの信仰を見て」とありますが、イエスは彼らのどこを見て、それを信仰と言われたのでしょうか。ここには中風の男や彼を連れて来た4人の男たちの言葉は出てきませんので、信仰告白をしたというようなことは考えられません。そうではなく、彼らがここまで病人を運んできたこと、しかも大胆にも屋根をはがして下に降ろした、そうした一連の行動を指して信仰と呼ばれたのでした。信仰とはギリシア語で「ピスティス」と言います。聖書に大変多く出てきます。そのほとんどは信仰と訳されますが、それだけではなく、ここに表された男たちの行動もまたイエスは信仰と呼ばれたのでした。この場合は、イエスに全幅の信頼を寄せたものがこうした行動となって現れ、従ってそれは信仰と言うよりは信頼に近いかもしれません。一般にわたしたちが理解している信仰、それは「使徒信条」、あるいはキリストを信じる信仰により義を知っているとかというものではなく、もっと素朴なイエスへの信頼、それもまた同じピスティスで言い表されるのです。この4人の(あるいは病人本人も加えた5人としてよいかもしれない)イエスへの信頼、それに伴う大胆な行動、それら全体を指してイエスは信仰と言われたのでした。
そこで中風の男に向って、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われました。どうしてイエスはここで罪を持ち出されたのでしょうか。ここには罪と赦し、病と癒しが相互に関連して語られています。人間の病、それは罪と深く関係しているとユダヤの世界で一般に信じられていました。いや、ユダヤだけではなく、現在のわたしたち日本をはじめ古今東西、双方の関係は迷信も加わって大きな力をもっています。「先生、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか」(ヨハネ9.2)。これはイエスの弟子たちの言葉ですが、しかしそれは弟子たちだけが持っていた偏見、あるいは迷信ということではなく、当時の多くの人々の理解だったのでしょう。確かにこの世界にあるさまざまな苦難、人間の困窮は神から背を向けた生き方に根ざしているという理解は、旧約時代から言われていることではあります。けれどもイエスは盲目という障害は、罪の結果であるという社会通念を否定されました。
ここ中風の男についても、背景にはそうした偏見があったことが考えられます。もちろんイエスはそうした迷信には捕らわれてはおらず、むしろ否定しておられたのですが、ここではあえて罪との関連で中風の男の回復、いやしを取り上げられ、そのことを通して神の国の到来を示されました。だからここであえて罪を持ち出し、「あなたの罪は赦される」と言われたのです。ところがこの言葉に対し、そこにいた律法学者たちは神を冒瀆していると非難しました。罪の赦しは神おひとりにしかできないからです。もちろんイエスがその神ご自身であることは言うまでもありません。そこで「『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか」と逆に問い返されました。そして「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう」と言い、中風の男に告げられました。「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」。ここではじめて病からの癒しを宣言されました。罪の赦しではなく、「起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」という癒し、病の回復を宣言されたのです。このようにしてイエスは中風の男が苦しんでいた病を癒すことによって、一般に信じられていたその原因である罪も赦されたことを結果として示されたのでした。
男が苦しんでいた中風の病という障害と、罪が関係しているわけではありません。それでもそうした風潮があることをイエスは受け入れつつ、ひとりの人間の苦しみと深く関わろうとされました。そして病を癒されたのでした。もちろんイエスは人間に腐敗と困窮をもたらす罪を取り除かれる方でもありました。それが十字架を頂点とした贖罪の道です。今イエスは神の国が近づいたとの告知のもと、このようにしてわたしたちの苦しみと向き合いつつ、それを癒してくださり、さらにはもっと根源的な罪の赦しの福音を告げ知らせ、実際に行っていくのでした。