「逃げる準備」 衛藤 満彦牧師
マルコによる福音書13:14-27

今朝の御言葉の中でイエスさまは「逃げなさい」という言葉をかけておられます。
これはこの言葉の裏に「でも本当に逃げてはいけませんよ」というような言葉が隠されているわけではなく、イエスさまはここで、「戦うことなく逃げなさい」と、はっきりと弟子たち、そしてこの聖書を通して私たちに語られていたのです。その時のことを
「憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つのを見たら」という言葉で表していますが、この「憎むべき破壊者」とはいったいどんな存在なのでしょうか。
これの少し前の場面では、この世の終わり、「終末」のことが語られておりましたけれども、その続きとして、終末の出来事、世の終わりに起こってくる出来事が、先週の言葉よりもより詳しく具体的に記されおり、その時に起こす具体的な行動が「逃げる」ということだったのです。「逃げる」という言葉を元々の言葉であるギリシャ語で調べてみますと、そこには、ただ「逃げる」ということだけではなく、大切な意味が込められており、それは、逃げるという行動の中で、「探し求める」という行為が同時に行われるということです。つまり、「逃げながら探す」、「逃げつつも自分が探すべきものを見つけていく」というのが、ここで言われている「逃げる」という言葉の本当の意味であったのです。言うなれば「逃げなさい、しかし大切なことはいつも探し求めなさい」
と言葉をかけられたのです。では、イエスさまがこの言葉の中に込められた「探し求めるもの」とはいったい何なのでしょうか。
14節以下の部分に、「山に逃げなさい」、「屋上にいる者は下に降りてはならない」、「家にある物を何か取り出そうとして中に入ってはならない」、「畑にいる者は、上着を取りに帰ってはならない」といったように、とにかく着の身着のままで「山に逃げていく」ということが示されていました。しかし、「何も持たずに逃げなさい」と言われると、逆に「何も持たなくて良いのだろうか」という思いが出てきます。しかしイエスさまが言われたのは「何も持たずに逃げなさい」という一言だけです。では何も持たずに逃げた先に平穏な生活が用意されているのかといえば、そうではありません。続きには「それらの日には、神が天地を造られた創造の初めから今までなく、今後も決してないほどの苦難が来るからである」と、逃げた後も苦難がやってくることを示す言葉が記されています。人間が絶望的な状況に陥った時、生きていくために必要なものは、生きていく目標、望みとなる「希望」しかありません。苦難が来る時、どんな苦難がやってくるか分からない時に、用意しておくことが出来るものは、何十にもわたる物質的な準備ではなく、ただ「希望」を見失うことがないように、そしてその「希望」こそが、私たちが逃れていく中で探し求めていくものであったのです。
「逃げなさい」という言葉の中に込められていた、希望へと続く、確かな救いの道がいまわたしたちに与えられていることを心から信じ、その道をご一緒に歩んでまいりたいと思うのです。

※以下のリンクから礼拝の録画をご覧になれます。

降誕節第5_2022年1月23日配信