宣教 「本当に幸いな歩み」  姜 俓米牧師

聖書:テサロニケの信徒への手紙一 5章 16-18節

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」。最もよく知られ、よく読まれ、親しまれている、いい言葉です。けれどもよく考えてみると、この言葉を本当に真剣に受け止めようとするなら、これはものすごく厳しい言葉でもあります。

パウロはこの手紙の1章2節で「いつも神に感謝して」います。そのことは2章12節にも「このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています」とあります。このパウロの神様への感謝は、「あなたがた」、テサロニケの教会の人々のことを覚えての感謝です。テサロニケ教会のことを、パウロはいつも祈りをもって神様に感謝しつつ思っているのです。その感謝は当然喜びを生みます。2章19、20節で「わたしたちの主イエスが来られるとき、その御前でいったいあなたがた以外のだれが、わたしたちの希望、喜び、そして誇るべき冠でしょうか。実に、あなたがたこそ、わたしたちの誉れであり、喜びなのです」。テサロニケ教会の人々こそ、自分の喜びだと、3章9節にも「わたしたちは、神の御前で、あなたがたのことで喜びにあふれています。この大きな喜びに対して、どのような感謝を神にささげたらよいでしょうか」。このようにパウロはこの手紙で、祈りにおける喜びと感謝を語ってきたのです。彼はテサロニケ教会の人々のことを覚えて絶えず祈っており、その中で喜びと感謝に満たされているのです。

パウロはなぜこのようなことを言うのでしょうか。それは、18節後半、「これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」、これが理由です。神がそう望んでおられる、意味は、「それが神のご意志である」となります。私たちが喜び、祈り、感謝して生きることを、神が望んでおられる、それが神のご意志である、だから、いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝するのです。

神様が私たちに望んでおられること、神様のご意志は、「キリスト・イエスにおいて」のご意志です。神様は独り子イエス・キリストをこの世に遣わして下さいました。そして主イエスが、私たちの全ての罪を背負って十字架にかかって死んで下さったのです。独り子主イエスの死によって、私たちの罪を赦して下さること、それが神様のご意志です。私たちの信仰は、この神様のご意志が自分に向けられていると信じることです。そしてこのご意志に従うことです。神様が、独り子の命を犠牲にしてまで、この私を愛しておられる、その愛のご意志を信じて、それに従い、神様に愛されている自分であることを受け入れるのです。

私たちのこの地上での歩みには、様々な紆余曲折があるし、行き詰まったり、道を見失ったり、迷ってしまったりすることがあります。けれどもそれは最終的には、神様の恵みのご意志によって、救いの完成へと向かっているのです。主イエス・キリストを信じる者には、希望が与えられています。あなたがたにも、この希望が与えられている、だからあなたがたも、共に喜び、祈り、感謝しつつ歩もうではないかとパウロは語りかけているのです。

※以下のリンクから礼拝の録画をご覧になれます。

受難節第3_2022年3月20日配信