宣教「彼らは見ても見えず」
ルカによる福音書8.4~15 (2019.2.17) 今、水曜日の聖書研究会ではルツ記を読んでいます。わずか4章しかない短い書物ですが、そこにはミレーの絵画で有名な「落ち穂拾い」の題材ともなるエピソードも描かれていて、中身は実に豊富です。旧約の律法に次のような言葉があります。「畑から
ルカによる福音書8.4~15 (2019.2.17) 今、水曜日の聖書研究会ではルツ記を読んでいます。わずか4章しかない短い書物ですが、そこにはミレーの絵画で有名な「落ち穂拾い」の題材ともなるエピソードも描かれていて、中身は実に豊富です。旧約の律法に次のような言葉があります。「畑から
ルカによる福音書6.1~11 (2019.2.10) 安息日は聖書独特の言葉で、しかも重要な意味を持っています。それはモーセの「十戒」に出てくることでも知られています。この安息日、旧約時代の中核を占めていただけでなく、それは新約聖書にも引き継がれていきます。特に福音書において
ルカによる福音書5.33~39 (2019.2.3) 断食とは旧約以来ユダヤの民が守ってきたもので、それは新約の時代に入っても出てきます。その断食に関して、次のような祈りが聖書にあります。「神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人
ルカによる福音書21.1~9 (2019.1.27) 毎週の礼拝で朗読され、そこから宣教がなされる聖書の区切られた箇所はペリコーペといわれ、古代教会の時代から教会暦に基づいて定められてきました。わたしも現在教団出版局が発行している聖書日課を用いています。わたしたちが用いている
ルカによる福音書4.16~30 (2019.1.20) 聖書の言葉が説教(宣教)の言葉となるには、基本的には次のような段階を踏んでいきます。これはどの教会、どの牧師でも同じです。まず最初には聖書本文そのものを読むことです。それも複数の聖書です。旧約聖書ならヘブライ語、新約聖書ならギリ
ルカによる福音書5.1~11 (2019.1.13)聖書において「呼ぶ」という言葉は重要な意味を持っています。それは単に名前を呼ぶということにとどまらず、信仰への招き、選び、さらには特別の働きへと導く(召命)という関係にまで至るものだからです。そこでは誰が呼ぶのか。それは神であり、イエス・キ
ルカによる福音書3.15~22 (2019.1.6)新しい年、2019年を迎えました。今年は天皇が退位することにより平成という元号が変わりますから、二重の意味で新しい年ということになり何かと話題になっています。皆さんはどのような年末年始を過ごされたでしょうか。わたし自身のことと言えば、大阪の
一ヨハネの手紙1.1~10 (2018.12.30) アドベントから始まったクリスマス一連の諸集会は、先週月曜日(24日)をもってすべて終えることができました。わたし自身はこの1週間疲れを取りながら、またクリスマスの余韻を楽しみながら、そしていろいろな反省点も考えながら過ごしてきました。イブ
ルカによる福音書2.1~7 (2018.12.23) アドベントの歩みも4週目最後となり、ローソクに光が4本灯されました。わたしたちは今日クリスマスを全国、全世界の人々と迎えました。これまでの4週にわたる歩みはいかがだったでしょうか。それぞれにおいて備えの時を持ったことと思います。CSでも毎
ゼファニア書3.14~20 (2018.12.16)アドベント第3週にあたり、今日もこれまで同様旧約聖書を開きました。ゼファニヤ書です。水曜日の聖書研究会でも旧約聖書を読んでいるのですが、そこでつくづく思わされることは人間の相反する二つの姿です。それは一方で醜さがあると思えば、他方では美しさ