宣教 「神さまから託されたもの」
「神さまから託されたもの」 使徒言行録 1章6-11節復活されたイエスは、その後40日間弟子達に現れ、最後彼らの目の前で天にあげられます。自らの力ではなく、父なる神によって天に上げられます。それは、イエスが人の子であると同時に、神の子であることを示します。使徒信条では、天に昇り、全能の父なる
「神さまから託されたもの」 使徒言行録 1章6-11節復活されたイエスは、その後40日間弟子達に現れ、最後彼らの目の前で天にあげられます。自らの力ではなく、父なる神によって天に上げられます。それは、イエスが人の子であると同時に、神の子であることを示します。使徒信条では、天に昇り、全能の父なる
「あなたも招かれている」コリントの信徒への手紙一 12章12~31節 あなたがたはキリストの体であり、またその一人一人はその体の部分であるとパウロは言います。私達の教会も、信徒一人一人が、それぞれ見える形、見えない形で教会を支え、それぞれの働きを担っています。与えられている賜物が、豊かに
「すべては恵み」 マタイによる福音書5章3~11節「平和を実現する人は幸いである。」そうイエスは言われます。勿論、我々の力で平和を勝ち取るということではありません。主イエス・キリストこそが私達の平和です。主イエスの体において、二つのものが一つにされ、互いの敵意がとり除かれ、一人の新しい人に造
信仰によって固く結び合うコリントの信徒への手紙一 1章10-17節 このパウロの手紙を通して、神様が私達に求められておられるのは、心を一つにし、思いを一つにして固く結び合いなさい、ということです。コリントの教会では指導者が何人かいて、「私はパウロにつく」「私はアポロにつく」「
「貧しさゆえに豊かにされ」 マタイによる福音書5章3-12節イエスの最初の説教は、「心の貧しいものは幸い」という言葉から始まります。この三節を別の言い方をすれば、「幸いなるかな 霊において貧しき者、天の国はその人のものなり」となるでしょうか。霊とは神様御自身、また神様の働きだと考えれば、
「共にいる喜び」詩編133編野方町教会の新年度の年間聖句は、詩編133編の「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。」を選びました。新型コロナウィルスの影響で、また様々な御事情で、教会で礼拝を守ることのできない兄弟姉妹がおります。しかし一つの御言葉、一つの礼拝を共に守る時
「今日あなたも救われる」マルコによる福音書16章1~8節復活の出来事を目撃した女性達は、理解を越える事柄に震え上がり、正気を失いました。確かに、神様の救いの業は、頭で理解できるものではありません。神様のなさることも、御心も、私達の理解をはるかに越えたところにあるのです。しかし
イエスを十字架につけたのは誰かマルコによる福音書15章6~15節 2021.3.28十字架上でイエスが息絶える場面に、心動かされない人は少ないでしょう。しかし、このイエスを十字架につけたのは誰かと問われた時、「はい、この私です」と答える人は、キリスト者以外にはいないでしょう。いや
皆に仕える者 マタイによる福音書20.22-28 2021.3.21 野方町教会83年の歩みの下、これまでがそうであったように、これからもここにおいて御言葉が語り続けられます。そうした中にあって、わたしの宣教の務めは今日が最後となりました。1年は52週ありますから、10年礼拝を守れ
光り輝く雲 マタイによる福音書17.1‐13 2021.3.14 先週の3月11日は東日本大震災から10年ということで、日本や世界の至る所では、そして一人ひとりは被災地を覚え、犠牲者を悼んで祈りを捧げました。わたしたちの祈祷会でも、この災害や事故を取り上げ、復興と癒しを皆で祈りま