ルカによる福音書2.1~12 (2019.6.9)
今日はペンテコステ礼拝です。ペンテコステとはギリシア語で「50日目」という意味で、最初に出てくる「五旬祭」に相当する言葉です。ユダヤにあった古いお祭、すなわち五旬祭に新しい出来事が起きました。それがペンテコステだったのです。教会では三つの大きな祝日があります。クリスマス、イースター、そしてこのペンテコステです。日本語では聖霊降臨日とも言いますが、それは教会が誕生した日として祝われる日なのです。
このような出来事から始まりました。五旬祭というお祭がエルサレムでありました。そのときイエスの弟子たちは皆で集まりお祈りをしていました。そのときです。突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いてきたのでした。そして炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまりました。すると一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し始めたのでした。このように聖書はペンテコステの出来事を語っているのです。
いったいここでどういうことが起こったのでしょうか。イエスのお弟子さんたちは、ここで祈っていました。しかしそれは仲間内だけの祈りでもありました。内向きの祈り、自分たちだけの信仰であったのです。彼らには外に向かっては語る勇気は欠けていたのです。ところが聖霊が彼らの上に降ったとき、弟子たちは外に向かって語る勇気を得たのでした。聖霊とは神の霊です。それは神ご自身といってもよいと思います。その聖霊は目には見えません。聖書の時代の人々は、それは風のようだと理解しました。また炎とも捉えました。風もわたしたちの目には見えません。しかし木の葉っぱが揺れるとき、またわたしたちの体に吹いて気持ちよくなるとき、わたしたちは風の力を知ることができます。また聖霊は炎でもあります。炎とは力です。キャンプファイアの薪や石油に火をつければものすごい勢いで燃え始めます。それが炎の力です。暗い心、冷たい心、打ち沈んだ心、湿った心、そこに聖霊の火がつけば勇気が出てきますし、明るく前向きに生きていくことができるのです。「こどもさんびか」だけにあるのですが、「ふしぎなかぜが」という讃美歌があります。このような詩です。「ふしぎな風が びゅうっとふけば なんだかゆうきがわいてくる イエスさまの おまもりが きっとあるよ それが聖霊のはたらきです 主イエスのめぐみは あの風とともに」。
五旬節というお祭の日、エルサレムには世界のあらゆる国から帰って来た信心深いユダヤ人が住んでいました。その人たちがイエスの弟子たちの語る言葉に驚きました。その驚きをこのような言葉で聖書は伝えています。「だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった」。「自分の故郷の言葉」、この人たちはどこから来ていたのでしょうか。後ろのほうにその出身地が書かれていますが、それを見ると現在の地中海をはさんだ様々な地域であることが分かります。有名なところでは、メソポタミア、エジプト、ローマといった所です。それぞれの地域にはそれぞれの言葉がありました。しかしそのような言葉の違いにもかかわらず、またその違いを超えて、イエスのお弟子さんたちが語る神様のお話が理解できたのでした。これはどういうことでしょう。それは英語を一度も勉強したことのない人が、いきなり英語を話し出したというようなことではないでしょう。ここに集まっていた人々には共通の背景がありました。それはユダヤ人であり、信心深い人々であったということです。それでも彼らには住む場所だけでなく、考え方においてもいろいろな違いはありました。けれども弟子たちが聖霊に満たされて語った神様の偉大の働きは、どの国の人々の心に力強く響いたのでした。
反対に同じ言葉を語っても、なかなか通じないことがあります。同じ日本語で話していても、自分が十分に理解されない、また人の気持ちが理解できない。こうしたことはいろいろなところで今もあるのではないでしょうか。職場ではどうでしょう。学校のクラスで、自分の言葉が受け入れられていない。あるいは家庭では。人の言葉を聞こうとしないことはありませんか。そのように同じ言葉であっても、なかなか分かり合えないことは多くあります。このペンテコステにおいて起きた出来事は、それとは逆で、様々な地域の違いはあっても、神の言葉が通じ合ったことなのです。
ペンテコステ、それは神様のわたしたちの内に働く力です。風のように、炎のように、時には爽やかに、時には力強く、わたしたち一人一人の内に、しかも誰にでも例外なく働く神の賜物なのです。わたしたちは時には落ち込むことがあります。悲しい時があります。自信をなくす時もあるでしょう。そんなとき聖霊はわたしたちに臨み、わたしに勇気を与えて再び立ち上がらせてくれるのです。それが今日起きました。そして教会が誕生したのでした。