宣教「悲しみが喜びに」
ヨハネ16.16~24 (2018.5.6)教会暦では今日が復活節第6主日、あともう1週経れば次には聖霊降臨節を迎えます。この間に昇天日があります。今週の木曜日です。あまり目立つことはなく、わたしも取り上げて語ることはあまりありませんが、使徒信条には「天に昇り」と1項設けられているほど重い内
ヨハネ16.16~24 (2018.5.6)教会暦では今日が復活節第6主日、あともう1週経れば次には聖霊降臨節を迎えます。この間に昇天日があります。今週の木曜日です。あまり目立つことはなく、わたしも取り上げて語ることはあまりありませんが、使徒信条には「天に昇り」と1項設けられているほど重い内
ヨハネ15.1~11 (2018.4.29) 今日の聖書で語られているぶどうと言えば、このあたりでは何と言っても山梨が産地だろうと思います。全国的に見れば西日本も盛んで、岡山県やわたしが以前いた広島でも、けっこうぶどうなどの果樹園がありました。中でもピオーネという品種が有名でした。ただこ
ヨハネ13.31~35 (2018.4.22)わたしは週に数回、近所の平和の森公園に行って汗を流しています。現在、そこには体育館を建築するために槌音が聞こえています。2年後に迫った東京オリンピックのための事業なのでしょう。そうした建設は、首都圏のあちこちで現在進行していることと思います。その
ヨハネ10.7~18 (2018.4.15)先週は敬愛する酒井敏夫さんの葬儀を執り行いました。その礼拝で取り上げた聖書は詩編23でした。「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」で始まるこの詩は、世界中で最も親しまれてきた、そして現在も親しまれている聖書ではないかと思います。数年前イギリ
ヨハネ20.19~31 (2018.4.8)主イエスの十字架の死と復活の出来事は記述に若干の違いこそあれ、4福音書すべてに記されています。復活について言うならば、あの死の墓からのよみがえりのメッセージはすべての福音書に共通しています。ただその劇的な復活をもって福音書を閉じているか、それとも後
マルコ16.1~8 (2018.4.1)40日にわたるレントの歩み、特に先週の1週間は受難週としてイエスの最期を辿ってきました。木曜日は主の最後の晩餐が執り行われ、弟子たちの足を洗われた「洗足の木曜日」でした。翌日はイエスが十字架につけられた「受難日・聖金曜日」。「使徒信条」で言うならば、「
マルコ14.32~42 (2018.3.25)40日にわたるレントの歩み、今日はその最後の1週間となりました。この最後の主の日を「棕梠(しゅろ)の主日」と呼んでいます。マルコによる福音書で言えば11章に相当する箇所で、イエスと弟子たちがエルサレムに入ったとき、人々は「ホサナ。主の名によって来
マルコ10.32~45 (2018.3.18) 40日にわたるレントの歩みも少しずつ大詰めに近づいてきました。わたしたちはマルコによる福音書を通してイエスの受難の足跡を辿ってきたわけですが、いよいよここに来てエルサレムという名前が出てきました。「一行がエルサレムへ上って行く途中、イエスは
マルコ9.2~13 (2018.3.11)今日は未曾有の東日本大震災からちょうど7年目になります。亡くなられた多くの方々、消息さえ分からないままの方々、今もさまざまな痛手をこうむったままで苦しんでおられる方々、そしてそれに何とか立ち向かっていこうとする全国の多くの支援者。今日は各地でこの出来
マルコ8.27~9.1 (2018.3.4)教会学校では毎年のことですが、受難節には消火礼拝を行っています。クリスマス前のアドベントとは逆に、ローソクの光を1本ずつ消していく礼拝です。2月14日の「灰の水曜日」から受難節に入り、最後の棕梠(しゅろ)の主日まで6回主日礼拝があります。6本のローソク