BLOG

宣教「あなたはメシア」

マタイによる福音書16.13~28 (2019.3.24)  マタイによる福音書では、今日の箇所がちょうど後半に差し掛かる最初のところとなります。それは分量において言えることで、全体が28章から成っているのに対し、ここ16章はその半分あたり相当しています。ただそれ以上に後半に差し掛かるとい

宣教「神の指」

ルカによる福音書11.14~26 (2019.3.17)   旧約聖書を読んでいますと、神が人間と同じように、いわゆる擬人化されて描かれている場面がけっこうあります。その分、物語としても生き生きとしていて、躍動感に満ちています。たとえば創世記3章に出てくるアダムとエバの物語。彼らが禁じられ

宣教「試練に遭う」

 ルカによる福音書4.1~13 (2019.3.10)   先週6日の「灰の水曜日」から受難節(レント)が始まりました。その日から数えて40日間(日曜日を除く)をこれから歩んでいきます。これは今日の聖書に出てくるイエスの荒れ野における40日の試練に基づいています。今日はその受難節の第1主日

宣教「祝福された食べ物」

 ルカによる福音書9.10~17 (2019.3.3)   この朝読みましたパンの奇跡、いわゆるイエスが5千人に食べ物を与える出来事は、よほど弟子たちにとって印象的だったのでしょう。通常の記事は共観福音書を中心に構成れているのですが、この記事はめずらしく4福音書すべてに出てきます。それだけ

宣教「起きて、歩け」

 ルカによる福音書5.12~26 (2019.2.24)   今日の聖書には二つの癒しの物語が語られています。最初の癒しは重い皮膚病にかかった人の話です。実はこの「重い皮膚病」という言葉、新共同訳聖書では途中から変更されたものでした。出版された当初(1987年)は、ここは「らい病」と訳され

宣教「彼らは見ても見えず」

 ルカによる福音書8.4~15 (2019.2.17)   今、水曜日の聖書研究会ではルツ記を読んでいます。わずか4章しかない短い書物ですが、そこにはミレーの絵画で有名な「落ち穂拾い」の題材ともなるエピソードも描かれていて、中身は実に豊富です。旧約の律法に次のような言葉があります。「畑から

宣教「安息日の主」

ルカによる福音書6.1~11 (2019.2.10)  安息日は聖書独特の言葉で、しかも重要な意味を持っています。それはモーセの「十戒」に出てくることでも知られています。この安息日、旧約時代の中核を占めていただけでなく、それは新約聖書にも引き継がれていきます。特に福音書において

宣教「新しいぶどう酒」

 ルカによる福音書5.33~39 (2019.2.3)   断食とは旧約以来ユダヤの民が守ってきたもので、それは新約の時代に入っても出てきます。その断食に関して、次のような祈りが聖書にあります。「神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人

宣教「新しい神殿」

ルカによる福音書21.1~9 (2019.1.27)  毎週の礼拝で朗読され、そこから宣教がなされる聖書の区切られた箇所はペリコーペといわれ、古代教会の時代から教会暦に基づいて定められてきました。わたしも現在教団出版局が発行している聖書日課を用いています。わたしたちが用いている

宣教「聖書を朗読するイエス」

ルカによる福音書4.16~30 (2019.1.20) 聖書の言葉が説教(宣教)の言葉となるには、基本的には次のような段階を踏んでいきます。これはどの教会、どの牧師でも同じです。まず最初には聖書本文そのものを読むことです。それも複数の聖書です。旧約聖書ならヘブライ語、新約聖書ならギリ

TOP